白虎隊結成
白虎隊、といっても日本史の話ではなくジャニーズ事務所の話である。ジャニーズ事務所が、雑誌『平凡』とのコラボレーションで募集したジャニーズJr.第4期生のうち、大野祥孝、長谷部徹、岩崎富美雄の3人によって白虎隊というバンドグループが結成された。
翌1976年8月15日に日本劇場で行われた「ロックン・ロール・カーニバル」で、『バイバイベイビー』で初お披露目する。後に、リトル・ギャングと合流してギャングスを結成する。
翌1976年8月15日に日本劇場で行われた「ロックン・ロール・カーニバル」で、『バイバイベイビー』で初お披露目する。後に、リトル・ギャングと合流してギャングスを結成する。
リトル・ギャング結成
そのリトル・ギャングだが、1975年7月、リトルリーブスの曽我泰久と松原秀樹がリトル・ギャングを結成した。
1975年7月25日に『アイ・ラブ・ユー』でジャニーズ事務所初のデュオとしてレコードデビュー。しばらくの間、リトルリーブスとリトル・ギャングは同時に存在していたが、リトルリーブスは年内に、後者もシングル3枚、アルバム1枚をリリースした1年後には解散した。
松原秀樹はその後、1978年に『ゆうひが丘の総理大臣』(ユニオン映画、日本テレビ系)に出演。井上純一とともに生徒役を演じた。
1975年7月25日に『アイ・ラブ・ユー』でジャニーズ事務所初のデュオとしてレコードデビュー。しばらくの間、リトルリーブスとリトル・ギャングは同時に存在していたが、リトルリーブスは年内に、後者もシングル3枚、アルバム1枚をリリースした1年後には解散した。
松原秀樹はその後、1978年に『ゆうひが丘の総理大臣』(ユニオン映画、日本テレビ系)に出演。井上純一とともに生徒役を演じた。
ギャングス結成
リトル・ギャングの曽我泰久と松原秀樹と、白虎隊の大野祥孝、長谷部徹が合体してギャングスを結成した。『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)にレギュラー出演し、川崎麻世のほか、渋谷哲平や榊原郁恵のバックバンドとして活動した。
1978年には伊藤栄悟が加入。草川祐馬の病気降板で『ゆうひが丘の給理大臣』にレギュラー出演することになった松原秀樹の代役で、田原俊彦が加わることもあった。
同事務所からバンドを主体としたグループはこの間いくつか出たが、レコードセールスという点では、1983年にデビューしたTHE GOOD-BYEまでは、さしたる実績を残したグループは出ていない。
1978年には伊藤栄悟が加入。草川祐馬の病気降板で『ゆうひが丘の給理大臣』にレギュラー出演することになった松原秀樹の代役で、田原俊彦が加わることもあった。
同事務所からバンドを主体としたグループはこの間いくつか出たが、レコードセールスという点では、1983年にデビューしたTHE GOOD-BYEまでは、さしたる実績を残したグループは出ていない。
キングコング結成
大野祥孝、渡辺和晃、原川吉臣、井上晴雄、浅田敏行、山口裕章らでキングコングを結成。松本ちえこのシングル『ハイ!授業中』でのバックダンサーなどをつとめた。翌年には自然消滅した。