ジャニーズが国際的ミュージカルスターになるため渡米
ジャニーズは1966年~67年にかけても様々な出来事があった。まず1966年8月28日、ジャニーズは人気絶頂の中で本格的なダンスレッスンのためロサンゼルスに長期滞在する。
ワーナーブラザーズとの契約が決まり、予定の滞在期間を延長してLPレコードのレコーディングを開始した。その中から2曲を全世界に向けてシングルリリース。全米デビューに道をつけ、日米を股にかけて活躍する国際的なスターになる……はずだった。
ワーナーブラザーズとの契約が決まり、予定の滞在期間を延長してLPレコードのレコーディングを開始した。その中から2曲を全世界に向けてシングルリリース。全米デビューに道をつけ、日米を股にかけて活躍する国際的なスターになる……はずだった。
ジャニーズ帰国するもGSブームに
1967年1月、レコード会社と契約して全米デビューに道をつけたジャニーズが帰国した。
本来は国際的スターとしてさらに脚光を浴びるはずだったが、彼らの留守中に日本の音楽ステージでは、かつてバック・バンドとして起用したブルー・コメッツ、スパイダース(シングル『焔のカープ』のバックを担当)などが台頭。GSブームにあらがえない流れができていた。
本来は国際的スターとしてさらに脚光を浴びるはずだったが、彼らの留守中に日本の音楽ステージでは、かつてバック・バンドとして起用したブルー・コメッツ、スパイダース(シングル『焔のカープ』のバックを担当)などが台頭。GSブームにあらがえない流れができていた。
『太陽のあいつ』をリリース
1967年4月l日、ジャニーズは、『太陽のあいつ』(作詞・岩谷時子、作曲・いずみたく)をリリースした。
この曲には3つの見所を見て取れる。ひとつは、1965年に来日したベンチャーズによってもたらされたエレキブームの先駆けという位置づけ。エレキ全盛の頃のヒット曲といえば、エミー・ジャクソンの『涙の太陽』は青山ミチ、安西マリア、田中美奈子らによってカヴァーされたが、寺内タケシとゾルージーンズや、“若大将”の加山雄三までが『夜空の星』でエレキブームに参戦している。
もうひとつは、岩谷時子・いずみたくという青春黄金コンビによって作られた歌ということである。このコンビでは、日本テレビの青春学園ドラマ『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『飛び出せ!青春』を主題歌との相乗効果で立て続けにヒットさせた。
さらに、いずみたくの「太陽ソング」は、まさに彼の全盛期のモチーフであった。ボニージャックスが紅白歌合戦で歌った『手のひらを太陽に』、ハニーズの『太陽野郎』、青い三角定規が歌った前述の『飛び出せ!青春』の主題歌である『太陽がくれた季節』などを手がけている。
ジャニーズタレントは、その後も光GENJIが『太陽がいっぱい』を、NEWSが『太陽のナミダ』など「太陽ソング」をリリースしている。
なお、このときジャニーズの4名がバックダンサーとしてグループを結成した。メンバーは、ジャニーズのボーヤをつとめていた松下(北) 公次、『マグマ大便』 で村上マモルを演じた子役出身の江木俊夫、劇団若草出身のおりも政夫と永田英二である。
ジャニーズ事務所は、タレント予備軍を試験と慣らしを兼ねて起用する本来のジュニア方式は、このときから始まったといっていい。
この曲には3つの見所を見て取れる。ひとつは、1965年に来日したベンチャーズによってもたらされたエレキブームの先駆けという位置づけ。エレキ全盛の頃のヒット曲といえば、エミー・ジャクソンの『涙の太陽』は青山ミチ、安西マリア、田中美奈子らによってカヴァーされたが、寺内タケシとゾルージーンズや、“若大将”の加山雄三までが『夜空の星』でエレキブームに参戦している。
もうひとつは、岩谷時子・いずみたくという青春黄金コンビによって作られた歌ということである。このコンビでは、日本テレビの青春学園ドラマ『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『飛び出せ!青春』を主題歌との相乗効果で立て続けにヒットさせた。
さらに、いずみたくの「太陽ソング」は、まさに彼の全盛期のモチーフであった。ボニージャックスが紅白歌合戦で歌った『手のひらを太陽に』、ハニーズの『太陽野郎』、青い三角定規が歌った前述の『飛び出せ!青春』の主題歌である『太陽がくれた季節』などを手がけている。
ジャニーズタレントは、その後も光GENJIが『太陽がいっぱい』を、NEWSが『太陽のナミダ』など「太陽ソング」をリリースしている。
なお、このときジャニーズの4名がバックダンサーとしてグループを結成した。メンバーは、ジャニーズのボーヤをつとめていた松下(北) 公次、『マグマ大便』 で村上マモルを演じた子役出身の江木俊夫、劇団若草出身のおりも政夫と永田英二である。
ジャニーズ事務所は、タレント予備軍を試験と慣らしを兼ねて起用する本来のジュニア方式は、このときから始まったといっていい。
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