田原俊彦が『さらば・・・夏』で日本歌謡大賞受賞
田原俊彦が1983年5月18日、田原俊彦が『さらば・・・夏』をリリース。この曲はこの年の「第14回日本歌謡大賞」の大賞に輝いた。
日本歌謡大賞は今はない表彰だが、かつては日本レコード大賞とともに二大大賞といわれた。
日本レコード大賞がTBS主催だったのに比べて、日本歌謡大賞はそれ以外の民放各局が毎年幹事を務める催しで、本来はむしろ日本レコード大賞以上の権威を評価されてもいいものだった。
受賞だけで歌手のポジションははかれないが、田原俊彦がこの頃、ピークであったことを示す実績であることは確かである。
日本歌謡大賞は今はない表彰だが、かつては日本レコード大賞とともに二大大賞といわれた。
日本レコード大賞がTBS主催だったのに比べて、日本歌謡大賞はそれ以外の民放各局が毎年幹事を務める催しで、本来はむしろ日本レコード大賞以上の権威を評価されてもいいものだった。
受賞だけで歌手のポジションははかれないが、田原俊彦がこの頃、ピークであったことを示す実績であることは確かである。
近藤真彦が『大将』で日本歌謡大賞受賞
近藤真彦が1985年10月21日、18枚目のシングル『大将』をリリース。オリコンチャート最高6位となって13万枚を売り上げたが、「第16回日本歌謡大賞」の大賞を受賞した。
近藤真彦にとって日本歌謡大賞は放送音楽新人賞以来の受賞になる。
近藤真彦にとって日本歌謡大賞は放送音楽新人賞以来の受賞になる。
江端兄弟がドラマデビュー
1984年11月4日、月曜ドラマランド『どっきり双子先生・乙女学園男子部』(フジテレビ)で、江端郁己、江端郁世の双子がドラマデビューした。いわゆる江端兄弟である。
弟の郁世は90年頃まではドラマに出ていたが、いつの間にかフェードアウトした。
弟の郁世は90年頃まではドラマに出ていたが、いつの間にかフェードアウトした。
(少年)忍者結成
1985年7月24日、中村繁之のバックダンサーとして忍者の前身となるシゲダンを結成した。
メンバーは、柳沢超、遠藤直人、正木慎也、高木延秀、志賀泰伸、中村亘利、内海光司、江端郁己、江端郁世、藤沢裕介の10名。やがて少年忍者と名乗るようになり内海光司、江端兄弟、藤沢裕介が脱退する。
さらに、中村亘利がCHA-CHAでの活動が忙しくなり脱退。古川栄司が加わって忍者となった。
メンバーは、柳沢超、遠藤直人、正木慎也、高木延秀、志賀泰伸、中村亘利、内海光司、江端郁己、江端郁世、藤沢裕介の10名。やがて少年忍者と名乗るようになり内海光司、江端兄弟、藤沢裕介が脱退する。
さらに、中村亘利がCHA-CHAでの活動が忙しくなり脱退。古川栄司が加わって忍者となった。
おめで隊、シングルデビュー
おめで隊というグループを覚えているだろうか。1987年2月、少年忍者の正木慎也と中村亘利が、『ドキドキ欽ちゃんスピリッツ』で、ジャニーズ事務所所属ではない奈津あつし(浅井企画)とおめで隊を結成。『悲しきエクササイズ』でデビューした。
「欽ちゃん」とジャニーズ事務所の合体という意味があったが、一時的なものだったのか、プロモーションにもそれほど力が入ったとも思えず、なしくずしにフェードアウトした。
「欽ちゃん」とジャニーズ事務所の合体という意味があったが、一時的なものだったのか、プロモーションにもそれほど力が入ったとも思えず、なしくずしにフェードアウトした。