美空ひばりはオトナの対応
近藤真彦といえば、田原俊彦、野村義男とともにたのきんトリオの一人。田原俊彦に1年遅れてレコードデビューを果たした。1年ずらしたということは、2人が新人賞争いで競合しないようにするためである。
それはそうと、近藤真彦はデビュー前にトンデモないエピソードがある。
1980年7月17日放送の『ばらえていテレビファソラシド』で、美空ひばりを知らない近藤真彦は美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、「おばさん、歌うまいね」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせたのだ。
もっとも、美空ひばりは「お嬢」と呼ばれていたが本来気さくな一面があり、ここでも大人の対応。「私、今まで面と向かって他人から上手いって言われたことがなかったの」と笑顔で答えたという。
けだし、美空ひばりは本当のスターなのである。
それはそうと、近藤真彦はデビュー前にトンデモないエピソードがある。
1980年7月17日放送の『ばらえていテレビファソラシド』で、美空ひばりを知らない近藤真彦は美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、「おばさん、歌うまいね」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせたのだ。
もっとも、美空ひばりは「お嬢」と呼ばれていたが本来気さくな一面があり、ここでも大人の対応。「私、今まで面と向かって他人から上手いって言われたことがなかったの」と笑顔で答えたという。
けだし、美空ひばりは本当のスターなのである。
近藤真彦がシングルデビュー
1980年12月12日、天下の美空ひばりをオバサン呼ばわりした近藤真彦が『スニーカーぶる~す』でソロビューした。
シングルは43枚、アルバムも31枚リリースしている。
年末デビューにいろいろ意見はあるが、要するに81年の賞レースを念頭に置いて、早めにデビューしたということだろう。もし、これがもう少し早いと、80年の新人扱いになってしまうからだ。
81年デビュー扱いで、稼働期間を長くするために、80年の12月にデビューという戦略に行き着いたのだろう。
シングルは43枚、アルバムも31枚リリースしている。
年末デビューにいろいろ意見はあるが、要するに81年の賞レースを念頭に置いて、早めにデビューしたということだろう。もし、これがもう少し早いと、80年の新人扱いになってしまうからだ。
81年デビュー扱いで、稼働期間を長くするために、80年の12月にデビューという戦略に行き着いたのだろう。
近藤真彦が「レコード大賞」最優秀新人賞受賞
1981年12月31日、「第23回日本レコード大賞」で、近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』が最優秀新人賞を受賞した。前年の田原俊彦に続く、「最優秀新人賞」連続受賞である。
近藤真彦は同じ曲で、今は休止されているが、日本レコード大賞とともに大きな賞だった「第12回日本歌謡大賞」の放送音楽新人賞も受賞した。
一方の田原俊彦は、『グッドラックLOVE』でゴールデン・アイドル賞を受賞した。
あえて田原俊彦とレコードデビューの時期をずらしたことで、近藤真彦も新人賞を受賞することができた。これもジャニーズ事務所の戦略の妙である。
近藤真彦は同じ曲で、今は休止されているが、日本レコード大賞とともに大きな賞だった「第12回日本歌謡大賞」の放送音楽新人賞も受賞した。
一方の田原俊彦は、『グッドラックLOVE』でゴールデン・アイドル賞を受賞した。
あえて田原俊彦とレコードデビューの時期をずらしたことで、近藤真彦も新人賞を受賞することができた。これもジャニーズ事務所の戦略の妙である。
近藤真彦写真集 Matchy IN U.S.A. ティーンアイドル特別編集
- 作者:
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1983
- メディア: 大型本