榊原郁恵が「いとしのロビン・フッド様」と憧れる先輩役
川崎麻世といえば、今やカイヤとの夫婦関係が取り沙汰される「お笑い」タレントになってしまったが、もとはジャニーズ事務所のアイドルタレントだった。『ナッキーはつむじ風』(1978年、TBS)で、主人公の星野なつき演じる榊原郁恵が「いとしのロビン・フッド様」と憧れる先輩役を演じたことを覚えているファンも多いだろう。
もっとも、そのときは、川崎麻世が2年先輩という設定だったが、実年齢は榊原郁恵の方が年上という突っ込みどころも話題になったのだが。
それはともかくとして、1977年7月1日、川崎麻世が『ラブ・ショック』でレコードデビューした。父親が俳優(安住譲)、本人も『プリン&キャッシーのテレビー・テレビ』(よみうりテレビ)で、西城秀樹の物まねでグランドチャンピオン(75年)に輝き、ジャニー喜多川のはからいですでにCMデビュー(不二家の「ハートチョコレー上)も果たしていた。
もっとも、そのときは、川崎麻世が2年先輩という設定だったが、実年齢は榊原郁恵の方が年上という突っ込みどころも話題になったのだが。
それはともかくとして、1977年7月1日、川崎麻世が『ラブ・ショック』でレコードデビューした。父親が俳優(安住譲)、本人も『プリン&キャッシーのテレビー・テレビ』(よみうりテレビ)で、西城秀樹の物まねでグランドチャンピオン(75年)に輝き、ジャニー喜多川のはからいですでにCMデビュー(不二家の「ハートチョコレー上)も果たしていた。
川崎麻世は長身で股下も長く「美少年」ではあったが、その後、東京工芸大学短期大学部に進学したり、ミュージカル俳優として渡米したりと独自の活躍の後、ジャニー喜多川の好みとは少し違ったのか、89年にはジャニーズ事務所を退社している。
この時期のジャニーズタレントは、ソロデビューも多いのだが、デビューしても売れないか、売れても事務所を去るか、どちらかのケースが続いた。川崎麻世はその後者だろう。
その意味で、ジャニー喜多川、そしてジャニーズ事務所にとっては、この時期がもっとも苦しかったといわれている。
この時期のジャニーズタレントは、ソロデビューも多いのだが、デビューしても売れないか、売れても事務所を去るか、どちらかのケースが続いた。川崎麻世はその後者だろう。
その意味で、ジャニー喜多川、そしてジャニーズ事務所にとっては、この時期がもっとも苦しかったといわれている。
ジャニーズ少年団結成
ジャニーズJr.の中から、古川清隆、長谷部徹、野村義男、渡辺和晃、山口裕章らでジャニーズ少年団を結成。古川清隆が出演した特撮ヒーロー番組『小さなスーパーマン ガンバロン』(日本テレビ系)の主題歌&エンディングテーマを、ザ・バーズというグループとの共演でビクターレコードよりリリースした。