東山紀之と結婚した木村佳乃が妊娠したという。結婚までにいろいろな女性との破局があったから、ソッチの方もジャニー喜多川の後継者かなどといわれることもあったが、何はともあれ東山紀之もいよいよ父親になるのだ。
ところで東山紀之の女性関係というと、やはり最初に出てくるのは牧瀬里穂だろう。
ところで東山紀之の女性関係というと、やはり最初に出てくるのは牧瀬里穂だろう。
牧瀬里穂は1990年10月にパーティーの席上で東山紀之と出会い、口説き上手の東山紀之にコロッと参ってしまった(「日刊ゲンダイ」2002年11月10日付)。95年5月には、新宿・歌舞伎町のゲイバーで、人目もはばからずイチャイチャした挙げ句に濃厚なキスをしたことまで目撃されている(『週刊現代』1996年1月27日号)
だが、牧瀬里穂は付き合っていた9年間、マッサージをさせられたり、東山の脱いだ服も一枚一枚丁寧に畳まされたりと家政婦並みの扱いを受けた挙げ句、「東山紀之と深田恭子の熱愛」が写真誌に報じられて破局した。
もっとも、深田恭子は別のジャニーズタレントの身代わりといわれた。げんに、東山紀之の本命は別にあった。
『週刊現代』(1996年1月27日付)は、「牧瀬里穂を捨てて選んだ『相手』」というタイトルで、メリー喜多川の娘であるジュリー景子がその相手、という記事を書いた。
「去年の暮れに、少年隊の東山(紀之・29歳)と飲んだんですが、その席で彼が『来年は副社長(メリー喜多川女史)の娘と結婚することになった』というんですよ。普段から軽々しい口は利かない男なので、これは本決まりだな、と思いました」(東山の友人)
ジャニー喜多川の後継者を意味する縁談だったが、これも「本決まり」ではなかった。
ジュリー景子はある男性と不倫交際を噂された後、結婚。メリー喜多川は『週刊新潮』(2005年2月10日号)で、ジュリーの結婚と出産について答えている。
「ええ、娘の出産は事実だし、去年、結婚もしています。相手の男性は一般の家庭の方で、うちに婿に来てくれたんです。私が紹介されたのは5、6年前ですが、2人は日本で出会ったんじゃないの。仕事は違うし、彼がうちの事務所に入って仕事をすることはあり得ないわ。彼は自分で仕事をしてますから」
次の相手はテレビ朝日の武内絵美アナ。『FRIDAY』(2002年6月28日号)が“激写”したが、この関係は何となくフェードアウトした。
この頃からだろうか。東山の熱愛報道は、「遊び」か「イメージ戦略」のどちらかでしかないと言われ始めるようになったのは……。
2005年1月にドラマで共演した内山理名に至っては、報道する側も最初から懐疑的だった。何しろ、ツーショット写真どころか、一般の目撃情報も具体的なものはほとんどなく、共演したら突然出てきた話。しかも、その手の話は何でも否定するジャニーズ事務所が、交際自体を否定しなかったことで、逆にヤラセを疑われた。
げんに、破局報道が出た翌日に東山紀之と内山理名が手際よく会見を別々にセッティング。破局報道の翌日(2007年11月14日)には、東山が主演舞台「さらば、わが愛 覇王別姫」の制作発表を行い、内山が特別ドラマ『点と線』(テレビ朝日)の完成披露会見に登場している。
40歳で独身という東山と、主演ドラマで大コケした内山理名。双方のイメージアップ戦略だったとの疑いを持つ関係者は少なくない。
ではなぜ、東山紀之の縁談はまとまらなかったのか。
一説には、ソッチの方もジャニー喜多川の後継者であるなどといわれたが、内山をのぞけば熱愛の目撃談もあり、交際自体はあったようだ。
『SMAPへーそして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)には、合宿所に於ける東山紀之の奇行が暴露されている。後輩に対して理不尽ないじめ等意地悪で気むずかしい。そして、妙に潔癖性。要するに人格的に慕われていない。
たとえば、坂本昌行などは、現在でも記者会見ではっきりとこの先輩を敬遠している。
それが、女性と交際が長続きしない、所帯を持てない理由のひとつになっていなかったのだろうか。
だから、木村佳乃との話が出た時も半信半疑にならざるを得なかった。
しかし、東山は2009年、『週刊朝日』(年末年始合併号)からスタートした新連載コラム「これまでと、これからと」で、自らの波乱の生い立ちを告白して話題になった。
タイトル通り、自分の人生にひとつの区切りをつけるという意味が込められた書き物だったが、それはつまり、少なくとも2008年には結婚を決意していたのではないだろうか。
この頃には、森光子のお世話も、滝沢秀明や亀梨和也、堂本光一らに譲っていた。
何にせよ、結婚して子を成した。過去のことは記憶の彼方に追いやり、一家の大黒柱として頑張って欲しい。
だが、牧瀬里穂は付き合っていた9年間、マッサージをさせられたり、東山の脱いだ服も一枚一枚丁寧に畳まされたりと家政婦並みの扱いを受けた挙げ句、「東山紀之と深田恭子の熱愛」が写真誌に報じられて破局した。
もっとも、深田恭子は別のジャニーズタレントの身代わりといわれた。げんに、東山紀之の本命は別にあった。
『週刊現代』(1996年1月27日付)は、「牧瀬里穂を捨てて選んだ『相手』」というタイトルで、メリー喜多川の娘であるジュリー景子がその相手、という記事を書いた。
「去年の暮れに、少年隊の東山(紀之・29歳)と飲んだんですが、その席で彼が『来年は副社長(メリー喜多川女史)の娘と結婚することになった』というんですよ。普段から軽々しい口は利かない男なので、これは本決まりだな、と思いました」(東山の友人)
ジャニー喜多川の後継者を意味する縁談だったが、これも「本決まり」ではなかった。
ジュリー景子はある男性と不倫交際を噂された後、結婚。メリー喜多川は『週刊新潮』(2005年2月10日号)で、ジュリーの結婚と出産について答えている。
「ええ、娘の出産は事実だし、去年、結婚もしています。相手の男性は一般の家庭の方で、うちに婿に来てくれたんです。私が紹介されたのは5、6年前ですが、2人は日本で出会ったんじゃないの。仕事は違うし、彼がうちの事務所に入って仕事をすることはあり得ないわ。彼は自分で仕事をしてますから」
次の相手はテレビ朝日の武内絵美アナ。『FRIDAY』(2002年6月28日号)が“激写”したが、この関係は何となくフェードアウトした。
この頃からだろうか。東山の熱愛報道は、「遊び」か「イメージ戦略」のどちらかでしかないと言われ始めるようになったのは……。
2005年1月にドラマで共演した内山理名に至っては、報道する側も最初から懐疑的だった。何しろ、ツーショット写真どころか、一般の目撃情報も具体的なものはほとんどなく、共演したら突然出てきた話。しかも、その手の話は何でも否定するジャニーズ事務所が、交際自体を否定しなかったことで、逆にヤラセを疑われた。
げんに、破局報道が出た翌日に東山紀之と内山理名が手際よく会見を別々にセッティング。破局報道の翌日(2007年11月14日)には、東山が主演舞台「さらば、わが愛 覇王別姫」の制作発表を行い、内山が特別ドラマ『点と線』(テレビ朝日)の完成披露会見に登場している。
40歳で独身という東山と、主演ドラマで大コケした内山理名。双方のイメージアップ戦略だったとの疑いを持つ関係者は少なくない。
ではなぜ、東山紀之の縁談はまとまらなかったのか。
一説には、ソッチの方もジャニー喜多川の後継者であるなどといわれたが、内山をのぞけば熱愛の目撃談もあり、交際自体はあったようだ。
『SMAPへーそして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)には、合宿所に於ける東山紀之の奇行が暴露されている。後輩に対して理不尽ないじめ等意地悪で気むずかしい。そして、妙に潔癖性。要するに人格的に慕われていない。
たとえば、坂本昌行などは、現在でも記者会見ではっきりとこの先輩を敬遠している。
それが、女性と交際が長続きしない、所帯を持てない理由のひとつになっていなかったのだろうか。
だから、木村佳乃との話が出た時も半信半疑にならざるを得なかった。
しかし、東山は2009年、『週刊朝日』(年末年始合併号)からスタートした新連載コラム「これまでと、これからと」で、自らの波乱の生い立ちを告白して話題になった。
タイトル通り、自分の人生にひとつの区切りをつけるという意味が込められた書き物だったが、それはつまり、少なくとも2008年には結婚を決意していたのではないだろうか。
この頃には、森光子のお世話も、滝沢秀明や亀梨和也、堂本光一らに譲っていた。
何にせよ、結婚して子を成した。過去のことは記憶の彼方に追いやり、一家の大黒柱として頑張って欲しい。