最初は個人事務所の屋号だった
ジャ二ーズ事務所。その正式な創業は1962年6月といわれている。つまり、もう52年になる。渡辺プロダクション預かりだったジャニーズが独立したのだ。といっても、設立や登記ではなく創業と書いたのは、この時点では法人登記をしたわけではなく、ジャニーズの事務所という意味での個人事務所の屋号に過ぎなかったからである。
真家ひろみ(真家弘敏)、飯野おさみ(飯野修賓)、中谷良(中谷良三)、青井輝彦(1967年から「あおい輝彦」に改名)の4名は、当時の芸能界大帝国といわれた渡辺プロダクションがマネジメントを行う形をとっていた。
メディアによっては、その独立の仕方がまずかったように述べているものもあるが、はたしてそうだったかは、否定的に観たほうが良さそうである。
たとえば、1967年4月に、渡辺プロダクションが全面的に資金を出して、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのクレージーキャッツ主演の映画『クレージーの黄金作戦』を作った。
アメリカ・ラスベガスの大通りで車を止めて、クレージーキャッツが歌と踊りを披露した日本映画史上に残る作品だが、その中にショーシーンがあり、ザ・ピーナッツ、ジャッキー吉川とブルーコメッツとともに、ジャニーズも『ウナ・セラ・ディ東京』を歌っているのだ。
当時、ザ・ピーナッツは当然所属タレントだった。ジャッキー吉川とブルーコメッツは提携関係にあった。ジャニーズもそれと同じ扱いだったのだろうと思われる。
少なくとも、自ら資金を出した大作に、喧嘩別れした事務所のタレントをわざわざ出すわけがないだろうから、おそらく、喧嘩別れ説はガセであろう。
ジャニーズ事務所が株式会社登記を行ったのは1975年である。
ジャニーズ事務所の歴史は、芸能の戦後史ともいえる。今や、あの巨人軍を上回る年商(400億円)を誇る偉大なるジャニー喜多川(喜多川擴)の“個人商店”であることは紛れもない事実(もちろん個人商店というのは比喩)。
だが、この頃のジャニー喜多川は、経済的にも恵まれているとはいえず、専用のレッスン場もない状態で、近くの公園や広場で歌や踊りの稽古を行ったという(あおきひろし『ポクの夢はキミたちが描く夢』メタモル出版)。
それが、今や、資本金80億円である。
ジャニーズ事務所については、毀誉褒貶がある。タレント管理に厳しい、金銭や権利関係がシビアである、出演番組に対していささか強引である、インターネット戦略が遅れている等々。
しかし、資本金80億円の個人商店的経営というのは、ある意味、現代の企業では絶対に真似できないことである。それは、やはり事業体としての確固たる信念やまとまりがあるからにほかならない。
メディアによっては、その独立の仕方がまずかったように述べているものもあるが、はたしてそうだったかは、否定的に観たほうが良さそうである。
たとえば、1967年4月に、渡辺プロダクションが全面的に資金を出して、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのクレージーキャッツ主演の映画『クレージーの黄金作戦』を作った。
アメリカ・ラスベガスの大通りで車を止めて、クレージーキャッツが歌と踊りを披露した日本映画史上に残る作品だが、その中にショーシーンがあり、ザ・ピーナッツ、ジャッキー吉川とブルーコメッツとともに、ジャニーズも『ウナ・セラ・ディ東京』を歌っているのだ。
当時、ザ・ピーナッツは当然所属タレントだった。ジャッキー吉川とブルーコメッツは提携関係にあった。ジャニーズもそれと同じ扱いだったのだろうと思われる。
少なくとも、自ら資金を出した大作に、喧嘩別れした事務所のタレントをわざわざ出すわけがないだろうから、おそらく、喧嘩別れ説はガセであろう。
ジャニーズ事務所が株式会社登記を行ったのは1975年である。
ジャニーズ事務所の歴史は、芸能の戦後史ともいえる。今や、あの巨人軍を上回る年商(400億円)を誇る偉大なるジャニー喜多川(喜多川擴)の“個人商店”であることは紛れもない事実(もちろん個人商店というのは比喩)。
だが、この頃のジャニー喜多川は、経済的にも恵まれているとはいえず、専用のレッスン場もない状態で、近くの公園や広場で歌や踊りの稽古を行ったという(あおきひろし『ポクの夢はキミたちが描く夢』メタモル出版)。
それが、今や、資本金80億円である。
ジャニーズ事務所については、毀誉褒貶がある。タレント管理に厳しい、金銭や権利関係がシビアである、出演番組に対していささか強引である、インターネット戦略が遅れている等々。
しかし、資本金80億円の個人商店的経営というのは、ある意味、現代の企業では絶対に真似できないことである。それは、やはり事業体としての確固たる信念やまとまりがあるからにほかならない。
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