ジャニーズタレントにつきものの「おっかけ」
1964年12月、テレビのレギュラーを増やし、舞台も経験してレコードデビューも果たしたジャニーズは、いよいよ押しも押されぬスターになった。
●シングル若い涙(「夢であいましょう」8月の歌)CノVVぼくの手袋破れてる(1964年12月)
若い夜C/vv若いんだもん(1965年5月)
焔のカーブC/Wぽくらのでっかい袋(6月)
ガール・ハッピィ CノWチキン・オブ・ザ・シー(6月)
栄光のマーチC/vvぱくの瞳に君がいる(10月)
君が若者なら C/Wひとりばっちになったとき(中谷良ソロ名義)(1966年1月)
泣いていたジ工二一C/vv涙くんさようなら(4月)
バットマンC/W行けりマットマン(5月30日)
おーいわーいチチチC/Wもう7時だよ(8月)
露の夜の哀愁(青井輝彦ソロ名義)C/vv若者の帽子(飯野あさみソロ名義)(11月)
時計をとめて(青井輝彦ソロ名義)Cノvv淋しさはとこから(11月)
太陽のあいつ(TβSの同名テレビドラマの主題歌)C/Wロンサムガール(1967年4月)
いつか何処かでC/vv素敵な恋人(10月)
若い日本の歌(第22回芸術祭参加作品)C/W日本の朝(12月)
ハロー・ジヤニーズ(ソノシート盤)
●アルバム
ジャニーズとアメリカ旅行~ジヤニーズショウ実況録音(1966年)
●ソノシート
「女学生の友」1966年4月号特別付録『女友シート・ジャ二一ズのないしょ話公開』(196611)
この頃から、ジャニーズタレントにつきものの「おっかけ」も登場したようだ。
矢崎葉子の『ジャニーズ輪廻論』(太田出版)には次のように書かれている。
「当時のジャニーズの車は63年型の8人乗りのクライスラーでジャニーさんが運転していたというが、東京のファンにはこの車はお馴染みで、この 『カー』を見つけたファンたちが集まってきて電話番号を書き残したりしたのだという。女の子たちの間では『ジャニーズに会うなら、この事を探せ』が合言葉で、週刊誌には『女性に襲われたジャニーズの恐怖』などの見出しが踊っていた」
これが、今までデビュー組タレントに対して続いている「オリキ」の始まりである。
それにしても、インターネットも携帯電話もない時代に、「オリキ」の間で「合言葉」まであるというのは凄いというほかない。
これはやはり、ジャニーズタレントが原則として、全員スター制のグループだったからできたことでもあると思う。
もし、これがピンのタレントだったら、ファン同士のせめぎあいは熾烈になっていただろう。
そういう意味でも、ジャニー喜多川の戦略には先見の明があったということである。
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