北公次。覚えているだろうか。フォーリーブスのメンバーである。ジャニーズ事務所のタレントとしては、元祖ジャニーズについでデビューしたグループだが、北公次はジャニーズのボーヤとしてジャニーズ事務所の仕事を始めていた。
1965年頃から、ジャニーズにはボーヤがつく。名前を松下公次という。後の北公次である。64年に和歌山県田辺市の中学校を卒業後、集団就職で和歌山県の田辺から名古屋に、そして大阪に移り住んだ。テレビで見たジャニーズに憧れ、芸能界に入りたいと思うようになる。
1965年頃から、ジャニーズにはボーヤがつく。名前を松下公次という。後の北公次である。64年に和歌山県田辺市の中学校を卒業後、集団就職で和歌山県の田辺から名古屋に、そして大阪に移り住んだ。テレビで見たジャニーズに憧れ、芸能界に入りたいと思うようになる。
「芸能界でデビューしたら、あのジャニーズのように歌って踊れて人気が出たら、夢だった大きな家と広い庭で親子そろって住めるだろう、子供が生まれてもおかずのない食卓にはならないだろう」
松下公次はそう考えたという。つまり、あまり裕福な出自ではなかったということである。
大阪の音楽喫茶で、スリーファンキーズのバックバンドをつとめるワゴンスターズのメンバーと知り合い、ボーヤになった松下公次は東京へ。
そして、日劇ウエスタンカーニバルに出演するジャニーズを見に行く。その時、舞台のそででじっと松下公次を見つめるハンサムな青年が声をかけてきた。以下は『光GENIIへ』(データハウス)から引用する。
「『きみ、誰のファンなの?』
『ジャニーズです』
『ふーん、今何やってるんだい』
『あの…・‥ボーヤやってるんです』
『そうか、一応音楽の仕事やってるんだね。どう、芸能界に興味ある?』
『……ええ……』
何者か判らないハンサムな青年は、そっとおれの肩に手をかけ、しゃべり続けた。
ジャニーズがその青年のプロダクションに所属しているということを聞かされたおれはからだじゅうが熱くなるのを感じた。まさかーまさか、あのジャニーズのプロダクションの社長がこの人だなんて……。 ジャニーズに会えるかもしれない。自分がスカウトされるとは思えなかったので、この人物を介してジヤニーズのサインがもらえるかもしれない、16歳の少年はそんな興奮で胸が一杯になった。
『よかったらうちでボーヤやらないか。ジャニーズのボーヤやりなさい、面倒は見てやるから』
ジャニー喜多川と名乗る青年は優しく肩に手をかけたまま耳もとでささやきかけた」
後に明らかになるジャニー喜多川のスカウティングのパターンである。
最初の出会いでは決して自分がジャニー喜多川であることを名乗らない。人なつこく近づき、相手の気持ちをほぐして相手をぐっと惹きつける。
ジャニーズの付き人となった公次は、四谷のお茶漬け屋の2階に住み込んだ。その頃のジャニー喜多川との関係については、同書が88年にホモセクハラを行っていたと暴露する。
松下公次はそう考えたという。つまり、あまり裕福な出自ではなかったということである。
大阪の音楽喫茶で、スリーファンキーズのバックバンドをつとめるワゴンスターズのメンバーと知り合い、ボーヤになった松下公次は東京へ。
そして、日劇ウエスタンカーニバルに出演するジャニーズを見に行く。その時、舞台のそででじっと松下公次を見つめるハンサムな青年が声をかけてきた。以下は『光GENIIへ』(データハウス)から引用する。
「『きみ、誰のファンなの?』
『ジャニーズです』
『ふーん、今何やってるんだい』
『あの…・‥ボーヤやってるんです』
『そうか、一応音楽の仕事やってるんだね。どう、芸能界に興味ある?』
『……ええ……』
何者か判らないハンサムな青年は、そっとおれの肩に手をかけ、しゃべり続けた。
ジャニーズがその青年のプロダクションに所属しているということを聞かされたおれはからだじゅうが熱くなるのを感じた。まさかーまさか、あのジャニーズのプロダクションの社長がこの人だなんて……。 ジャニーズに会えるかもしれない。自分がスカウトされるとは思えなかったので、この人物を介してジヤニーズのサインがもらえるかもしれない、16歳の少年はそんな興奮で胸が一杯になった。
『よかったらうちでボーヤやらないか。ジャニーズのボーヤやりなさい、面倒は見てやるから』
ジャニー喜多川と名乗る青年は優しく肩に手をかけたまま耳もとでささやきかけた」
後に明らかになるジャニー喜多川のスカウティングのパターンである。
最初の出会いでは決して自分がジャニー喜多川であることを名乗らない。人なつこく近づき、相手の気持ちをほぐして相手をぐっと惹きつける。
ジャニーズの付き人となった公次は、四谷のお茶漬け屋の2階に住み込んだ。その頃のジャニー喜多川との関係については、同書が88年にホモセクハラを行っていたと暴露する。
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