ジャニーズタレント徹底論考

スポンサーリンク↓

もちろん元祖ジャニーズ4人組の話だが……

ジャニーズが解散したのは1967年11月20日である。すでに書いたように、ジャニーズが正式に結成された日は1962年4月1日。ということは、実働5年半である。しかも、NHK総合で放送していた『夢であいましょう』で、田辺靖雄のバックとして出演したのが1962年8月。『夢であいましょう』のオリジナルソングとして歌った『若い涙』(永六輔作詞・中村八大作曲)でワーナーブラザーズからレコードデビューしたのは1964年12月である。

ということは、レコードを出してテレビに出演する従来型歌手としての活動期はまる3年に満たない。売れなかったのならともかく、紅白歌合戦にも出場して、まだ伸びしろはあったはず。

現在のジャニーズタレントデビュー組は、SMAP以降解散せずに増える一方である。それだけに、解散は早すぎる感があるのだが、どうだったのだろうか。
ジャニーズ解散の原因は、表向きには日本のショービジネスと方向性が合わないとされたが、先に述べたGS(グループサウンズ)の台頭があることは否定できなかった。

全米デビューもシングル1枚で挫折。アルバムもお蔵入りし、彼らは「失意のうちに」(『Jポップの中のJポップ』で中村俊夫)解散することになったのだ。

また、メンバーの中谷良によれば、真家ひろみがジャニー喜多川の寵愛や待遇などに不満を持ったからといわれる(『ジャニーズの逆襲』データハウス)。

1967年12月、ジャニーズのサヨナラ公演が渋谷公会堂で、彼らに引導を渡した格好になったジャッキー吉川とブルー・コメッツや、ザ・スパイダースも友情出演し三部構成で行われた。ここから同事務所の主役は、フォーリーブスにバトンタッチすることになる。

ジャニーズ4人組のメンバーといえば、中谷良三(中谷良)、青井輝彦(あおい輝彦)、飯野修賓(飯野おさみ)、真家弘敏(真家ひろみ)。

解散後、あおい輝彦は歌だけでなく俳優としても活躍している。飯野おさみも劇団四季のミュージカル俳優として健在。同時代に活躍したスリーファンキースの長澤純にそっくりだった真家ひろみは、司会や俳優としてテレビに時々顔を出していたが、タクシー運転手に転職。2000年に亡くなった。

その際、ジャニーズ事務所は花も供えず弔電もよこさなかったとあおい輝彦が不満を漏らしたとされるが、そのあおい輝彦の息子がジャニーズ事務所入りしたところを見ると、関係は今も悪くないのかもしれない。
アイドル帝国ジャニーズ 50年の光芒 (宝島社新書)

アイドル帝国ジャニーズ 50年の光芒 (宝島社新書)

  • 作者: 小菅 宏
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2012/06/09
  • メディア: 新書
スポンサーリンク↓