ジャニーズタレント徹底論考

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ジャニーズ事務所所属タレントのソロ第1号

永田英二というジャニーズタレントがいたのをご存知だろうか。もともとはフォーリーブスの一員だったが、小学生ということで青山孝にメンバーチェンジした。

だが、ジャニーズ事務所のプッシュはそれで終わったわけではなく、1968年9月にハイソサエティーのボーカルに加わり、しばらくの間「永田英二とハイソサエティー」の名で活動。そして1969年8月20日、『あこがれ』 でレコードデビューした。

永田英二は劇団若草の子役出身だが、父親がジャニーズ事務所のダンス講師だったことから1966年に入所した。そして、記念すべき、ジャニーズ事務所所属タレントのソロ第1号となる。
後に八田英士や永田英士など名前を変え、現在は長田栄二として、IZAMなどを育てた音楽事務所「オフィス・タッチ」を経営。それ以外にも、NPO(特定非営利活動法人)OJPC理事、NPO(特定非営利活動法人)国際薬物対策センター音楽LIVEイベント特別顧問など文化人の肩書も多数持って活動している。

永田英二がリリースしたシングルは、『あこがれ』『恋をあげよう』『悲しきトレイン北国行き』『あのとき僕たちは』『愛は何処へゆく』など11枚、アルバムは3枚。ただし、所属していたフォーリーブスのような成功はおさめられなかった。

たのきんトリオは田原俊彦や近藤真彦がソロで実績を残したが、たのきんトリオというユニットとしてのプロモーションもあったことは否定できない。

それはそうと、永田英二は最近になって都内で38年ぶりの単独ライブを開いたことが報じられて話題になっている。まだ中年層は彼のことを覚えているのだ。

デビュー曲の『あこがれ』など14曲を歌ったという。「60、70年代のロックサウンドを届けていきたい」とコメントしたというが(『スポニチアネックス』2014年3月14日更新)

ジャニーズ事務所は、グループデビューで実績を作っているが、ソロデビューはあまりいい展開がない。そもそも売れっ子になれなかった者もいるし、郷ひろみや豊川誕や川崎麻世など、売れてこれからという時に脱退してしまったタレントもいる。

ハイソサエティーを脱退した理由がわからないが、永田英二も、たとえフォーリーブスやハイソサエティーを脱退してもグループで仕事をしていれば、もしかしたら違う展開もあったのだろうか。

ジャニーズ事務所の典型的なアイドルとしてフォーリーブスがいて、一方でロックサウンドの永田英二がいる。今のジャニーズ事務所だったらそれもできたかもしれない。

こうしてみると、人間が成功するには、本人の実力や意欲だけでなく、運やタイミングもあるということだろう。
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  • 作者: 小菅 宏
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2012/06/09
  • メディア: 新書
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