ジャニーズタレント徹底論考

VIP、といっても「偉い人」や「改造車」という意味ではない。ジャニーズ事務所所属では異例の、女性を含んだ5人グループである。男性アイドル専門のようにみられる同事務所だが、郷ひろみが脱退して以来大きなヒットに恵まれず、女性を本格的に売り出したのだ。1979年のことだった。メンバー構成は、JJSの板野俊雄、林正明、畠山昌久に河村信子と吉本和子を加え、『南十字星』(キングレコード)でデビューした。

しかし、その後は『エースをねらえ!』の主題歌の『青春にかけろ!』など、2枚のシングルと3枚のアルバムをリリースしたが、10カ月後に林正明・畠山昌久・吉本和子が脱退。1980年のアルバムリリースを最後に自然消滅した。

VIP、ジャニーズ事務所唯一の女性を含んだグループ

その頃の我が国の音楽シーンは、内外のロックスターが台頭していた時代。この時期は男性アイドルが育たず、ジャニーズ事務所にとっても試行錯誤を続ける氷河期といわれる。

VIPやメリー喜多川の娘の藤島ジュリー景子など、女性タレントのデビューなどはまさにそうした感があるが、一方ではたのきんトリオがデビューして、次の黄金時代の萌芽ともいえるものもみえている。

朝の来ない夜はない、ということか。
続きを読む≫ 2014/06/11 16:27:11
フォーリーブスは1978年8月31日に解散した。元祖ジャニーズの4人組に変わってジャニーズ事務所を支えてきたが、ジャニー喜多川の好みはあくまでも若い10代の男の子。この頃のフォーリーブスは、すでに峠を大きく越していた。それだけが理由ではないが、「若さ」を売りとするグループにはいずれこの日が来るのだ。

前年の1978年7月21日に最後のシングル『THE ENDーおもいがけず出会ったらー/夢のかけら』をリリース後、1ヶ月にわたる全国ラストツアーを行い、8月31日に新宿の東京厚生年金会館のステージで解散した。
続きを読む≫ 2014/06/10 16:29:10
未都由という歌手をご存知だろうか。かつてジャニーズ事務所からデビューした男性ソロ歌手である。1977年11月1日、本名・龍山達夫が「Me&You」をもじった未都由という芸名で、20歳の年齢を18歳と2歳若く偽り、『こんな娘が好き』でレコードデビューした。ただ、その後も「サンデーズ」にも参加したが、鳴かず飛ばずに終わっている。
続きを読む≫ 2014/06/09 14:22:09
川崎麻世といえば、今やカイヤとの夫婦関係が取り沙汰される「お笑い」タレントになってしまったが、もとはジャニーズ事務所のアイドルタレントだった。『ナッキーはつむじ風』(1978年、TBS)で、主人公の星野なつき演じる榊原郁恵が「いとしのロビン・フッド様」と憧れる先輩役を演じたことを覚えているファンも多いだろう。

もっとも、そのときは、川崎麻世が2年先輩という設定だったが、実年齢は榊原郁恵の方が年上という突っ込みどころも話題になったのだが。

それはともかくとして、1977年7月1日、川崎麻世が『ラブ・ショック』でレコードデビューした。父親が俳優(安住譲)、本人も『プリン&キャッシーのテレビー・テレビ』(よみうりテレビ)で、西城秀樹の物まねでグランドチャンピオン(75年)に輝き、ジャニー喜多川のはからいですでにCMデビュー(不二家の「ハートチョコレー上)も果たしていた。
続きを読む≫ 2014/06/08 13:24:08
白虎隊、といっても日本史の話ではなくジャニーズ事務所の話である。ジャニーズ事務所が、雑誌『平凡』とのコラボレーションで募集したジャニーズJr.第4期生のうち、大野祥孝、長谷部徹、岩崎富美雄の3人によって白虎隊というバンドグループが結成された。

翌1976年8月15日に日本劇場で行われた「ロックン・ロール・カーニバル」で、『バイバイベイビー』で初お披露目する。後に、リトル・ギャングと合流してギャングスを結成する。
続きを読む≫ 2014/06/07 18:56:07
JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)が1975年2月にデビューした。板野俊雄・畠山昌久・林正明らで、曲は『ベルサイユのばら』である。

ジャニーズJr.とは、もともとジャニーズ事務所でデビューを待つ若手たちである。

当時、ジャニーズジュニアは、ジャニーズ・ジュニア第1期生として板野俊雄(トシちゃん)、小坂まさる(マチャル)、近藤純市(ジャンボ)、山縣孝良(タカ坊)、鈴木寛(ヒロ坊)、林正明(マーちゃん)、畠山昌久(チャーリー)、柏木孝夫(タカちゃん)、吉田義久(ヨシ坊)らがおり、『歌え!ヤンヤン!!』などに出演しながら本格デビューを待っていた。

そのうち、フォーリーブス組がジュニア・スペシャル、郷ひろみ組がジュニア・エースといわれた。

彼らはフォーリーブス組と郷ひろみ組に分かれていたが、1974年の夏、つまり、離脱した郷ひろみと行動を共にしたジュニアがいた。

ジュニア・スペシャル残ったメンバーに、新加入した井上純一と、ジュニア・エースの畠山昌久で新グループ結成。さらに井上純一が抜けて冒頭の3人になったのである。

中心メンバーは板野俊雄。郷ひろみの付き人だった。

郷ひろみとともに、ジュニアの一部も離脱したことは歴然とした事実のため、当時、明星や平凡などの芸能誌でも触れざるを得ず、ファンの間でも話題になった。
続きを読む≫ 2014/06/06 19:22:06
豊川誕が1975年3月21日、『汚れなき悪戯』でデビューした。ポップス調のアイドルにしては重い感じがする曲だった。それはすなわち、従来のアイドル、明るく輝いている王子様という路線ではないことを意味する。

芸名はメリー喜多川によって命名。「生まれてすぐ豊川稲荷に捨てられ、そこで育った」というギミックから考えだされた。

実際に豊川誕は、戸籍の名前も実親がつけたものではないといわれている。2歳か3歳かも曖昧なとき、父親に捨てられベンチに座っていた豊川誕をスナックの女性経営者が見つけ、保護された。

その時、豊川誕は自分を「ヒロ」と言うだけで正確な名前はわからなかった。児童相談所や市役所の人たちに、「姫路市本町68番地」の「本田孝」という戸籍を作られ、養護施設「信和学園」に入ったという。
続きを読む≫ 2014/06/05 13:52:05
ジャニーズ事務所といえば、もともとジャニー喜多川の子飼いであったジャニーズ4人組の事務所、という意味で命名された「個人事業」だった。それが、1975年1月30日、「ジャニーズ事務所」として法人登記(株式会社)した。命名の由来であるジャニーズはもうとっくに解散していたのだが、そのグループを原点としたかったのか、そりともジャニー喜多川からとったジャニーさんの子どもたちという意味でジャニー「'S」なのかはわからないが、そのままジャニーズ事務所として登記された。
続きを読む≫ 2014/06/04 19:06:04